太平洋戦争末期、尖閣諸島で起こった奇跡の悲しき実話。『尖閣1945』オールキャスト解禁
太平洋戦争末期、石垣島からの疎開船が爆撃を受け、漂着した島で生き抜いた人々。帰る日を信じ、希望を失わず命をつないだ、史実に基づく奇跡の物語『尖閣 1945』が、2027年に沖縄先行公開/全国公開。この度、本作のオールキャストが解禁されました。

太平洋戦争末期、多くの女性や子どもを乗せた2隻の疎開船が石垣島から台湾を目指して海に出るも、米軍の攻撃を受けて1隻は沈没、もう1隻もエンジンの損傷により尖閣諸島の魚釣島に漂着した「尖閣列島戦時遭難事件」。1940年には既に無人島になっていた魚釣島には真水はあるが食料がなく、餓死者が出る状況下、生き残った人々が木造船(サバニ)を作り、決死隊を結成して170km離れた石垣島に助けを求めたことで救助された悲しくも勇気と愛に満ちた感動のヒューマンドラマが描かれる。
主人公の金城嘉吉(かなぐすく・かきち)を演じるのは、2011年にスカウトされモデルデビュー、14年NHK『花子とアン』にドラマに出演。17年には矢口史靖監督『サバイバルファミリー』で映画初出演を果たした富田健太郎。『i ai』(2024年)に続き映画主演2作目となる本作では、監督が本作のために有名無名関わらず数多くの俳優と直接面談し、嘉吉役に最適だと感じて決定。魚釣島に漂着するも病や飢餓で命を落としていく仲間たちを助けるために立ち上がる若き水軍兵という難しい役への挑戦となり、新境地を開拓。5人の子どもと魚釣島に漂着し、病や飢えに苦しみながらも子どもたちを守り抜こうとする花城ヨシ役には、デビュー以来数多くの映画やテレビドラマに出演し、最近はネット上のセレクトショップを開き活動の幅を広げている羽田美智子。
監督は、『島守の塔』(22)等で強く、美しく生きる日本人たちを描いてきた五十嵐匠。映画の舞台となる尖閣諸島の魚釣島での撮影が不可能な中、石垣市の全面協力のもと、戦後80年の時間とともに忘却の彼方に埋もれた歴史的事実とそこに生きた人々をスクリーンに描き出す。
オールキャスト解禁!!
エミー賞過去最多となる18冠を受賞したアメリカ時代劇ドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』に出演するなど圧倒的な演技力と存在感を発揮する西岡德馬をはじめ、シリアスからコメディーまで幅広い演技力で、ドラマ・映画・舞台で多彩な魅力を放っている遠山景織子、数々のバラエティ番組で親しまれ、唯一無二のキャラクターで幅広く活躍する具志堅用高、企画・主演を務めた映画『じんじん』(2013)で第13回イマジンインディア国際映画祭(マドリード)最優秀俳優賞を受賞し、公開中の映画『宣誓』に出演した大地康雄、映画『天と地と』やテレビ『浅見光彦シリーズ』、『NHK 大河ドラマ』、数々の舞台で活躍する榎木孝明をはじめ、多彩な実力派キャストが脇を固める。また沖縄を代表する書家の一人である茅原南龍が題字を担当。2003年に日展特選を受賞し、2009年には石垣市民栄誉章、2015年に沖縄県功労者、2018年に旭日双光章を受章。現在も精力的に創作活動を続けている。
西岡德馬 コメント
私の生まれる前の年、1945年、昭和20年は日本建国以来最大の苦しみが有りました。広島、長崎に原爆を投下され終戦を迎える数ヶ月前、日本中で戦闘員、非戦闘員の区別無く亡くなっていったこの事実、決して忘れてはいけない事です。
団塊の世代の私がいつも思っている事、あの戦争後の日本はあの時代の人たちの礎の上に成立っている事をしっかりと伝えなければいけないと言うことを!その切なる思いで、この映画に参加させて頂きました!
感謝です!
遠山景織子 コメント
五十嵐監督のもと、スタッフ・キャストが一丸となり、そして石垣島の皆さまの温かいご協力をいただきながら、映画『尖閣1945』が完成しました。
生きること。命を懸けて子どもを守ること。守りたくても守りきれなかった想い。
そして、見たくない現実を目の当たりにすること。
さまざまな感情を抱えながら、川平トシとして必死に生き抜いた日々でした。
今を生きる私たちは、多くのものが手に入る時代を生きています。
だからこそ、この史実が一人でも多くの方に届き、平和や命について考えるきっかけとなることを心から願っています。
具志堅用高 コメント
故郷の石垣島での撮影ということで、少しでもお役に立てればと思い、演技は上手ではありませんが、一生懸命演じさせていただきました。
色々な方々に観てもらえると嬉しいです!
大地康雄 コメント
中山市長はじめ皆様には臨場感のある素晴らしい作品にご尽力頂きありがとうございました。私の母と兄は終戦当時、台湾でマラリアに感染し半死半生の中、宮古島の親戚に助けられ生き延びて困難を乗り越え、やがて父と再会し私が生まれました。
今回の役は、母への感謝の気持ちでやらせて頂きました。
榎木孝明 コメント
戦後81年が過ぎた今、戦争体験者が語れなかった多くの現実が眠っています。
戦争の犠牲者でもある彼等の未来に託す気持ちを、石垣の暑い日のもとで痛いほど感じて撮影に臨んでいました。これは多くの人に知ってほしい歴史です。
太平洋戦争末期。米軍が上陸した地上戦を経て、沖縄では第32軍総司令官牛島満大将が自決。日本の敗北が決定的となった。しかし八重山諸島ではその後も散発的にアメリカ軍の攻撃が続き、避難命令や疎開命令が出されていた。石垣島では台湾への疎開のため、戦時徴用船として2隻の船が使われることになった。潜水艦等が危険な与那国島からのコースを避け、尖閣諸島近くを迂回して台湾へ向かったのだ。1945年7月3日午後、米軍機による攻撃を受け、1隻は炎上・沈没。もう1隻は機関故障で漂流。疎開者の貴重な命が失われ、多くの人々が海に投げ出された。生き残った疎開者たちは、生きるための「真水がある」魚釣島を目指した。幸いにも人々は魚釣島に辿り着いたが、食糧がすぐに底をつき、飢餓が襲う。やがて人々は、石垣島へ助けを求めるためにサバニ(小舟)をつくることを決意する。飢餓の中で、次第に形になっていくサバニ。そしてサバニは完成し、8人の若者が荒ぶる海に立ち向かっていく。
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